『花ざかりの森・憂国 ─自選短編集』(その2)

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

  • 遠乗会

実は私も数年前に乗馬を習っていたことがあるのだが、この短編を読んで「遠乗(えんじょう)の様子が随分リアルに描かれているなあ…」と思ったものだ。
解説によると、三島由紀夫自身が所属していた乗馬クラブの、実際の遠乗会に取材したものだという。
それにしても戦後間もなくの頃までは、こんな遠乗が可能だったとは…。

 倶楽部の持馬に比して参加者が数多いことから、行程は三組に分けられている。第一班は早朝丸の内の倶楽部を出て、午前九時過ぎに市川橋に到着する。そこで一行を待っていた第二班がこれに乗り継ぎ、目的地の千葉の御狩場へむかう行程を、第一班は出迎えの乗合自動車に便乗して先行するのである。目的地にはすでに第三班が到着している。全員はそこで中食をしたため、午後にいたって、直線距離の還路を騎乗の第三班が辿るのであった。

ちなみに「御狩場」とは千葉の行徳の鴨場*1のこと。つまり丸の内から千葉まで馬で往復していたというのだ。

三島由紀夫には珍しい、ギャグ的なショート・ショート。
豪放磊落な学生4人組が、毎朝生卵を盛大に割って食べていることを、卵たちに裁かれるというストーリー。何の衒いもない、あっけらかんとしたコント。
三島自身も解説で「珍品」と認めている。

『卵』は、かつてただ一人の批評家にも読者にもみとめられたことのない作であるが、ポオのファルスを模したこの珍品は、私の偏愛の対象になっている。学生運動を裁く権力の諷刺と読まれることは自由であるが、私の狙いは諷刺を越えたノンセンスにあって、私の筆はめったにこういう「純粋なばからしさ」の高みにまで達することがない。

評価はともかく、三島が胸襟を開いて筆を走らせた数少ない作品であることは間違いない。

  • 橋づくし

三島作品の底流に、「無知なもの、粗野なもの、田舎のものによる、知的な洗練されたものへの思わぬ復讐」という主題が、ほとんど常にある。
この「橋づくし」でも、「途中で誰にも声を掛けられることなく橋を7つ渡りきれば願いが叶う」という願掛けを、ただ一人達成できるのは、色黒の田舎出の小間使いなのだ。

  • 女形

橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』によると、三島由紀夫が心底惚れ込んだ歌舞伎の女形、六世中村歌右衛門がモデルになっているとのこと。

*1:ここに今もある鴨料理屋「かも苑」については、2005年2月5日の日記参照