喫茶

夜にBSでやっていた「世界ふれあい街歩き」、今回は厦門(アモイ)が舞台だった。
アモイは福建省の街だけあって、休みの日は朝から晩まで友達とお茶を飲んでおしゃべりをする、という男の人が出ていた。
中国茶日本茶と異なり、一つまみの茶葉で何回も何回もお茶を煎じる。
中唐の盧仝(ろどう)という詩人は、「筆を走らせ孟諫議の新茶を寄せらるるを謝す」と題した詩でこんなふうに詠んでいる。

一碗喉吻潤 一碗すれば喉吻(のど)が潤い、
二碗破孤悶 二碗すれば孤悶(孤独の寂しさ)を破る
三碗捜枯腸 三碗すれば枯腸(空きっ腹)を捜し
惟有文字五千巻 惟だ文字五千巻有り
四碗発軽汗 四碗すれば軽汗を発し
平生不平事 平生の不平事
尽向毛孔散 尽く毛孔に向かいて散ず
五碗肌骨清 五碗すれば肌骨清し
六碗通仙霊 六碗すれば仙霊に通ず
七碗吃不得也 七碗すれば吃して得ざる也(もう飲めない)
唯覚両腋習習清風生 唯だ両腋の習々たる清風の生ずるを覚ゆ

日本の煎茶道の中興の祖と呼ばれる売茶翁が盧仝の生き方を理想としたため、後世煎茶道を嗜む人々のあいだで、この詩は「茶歌」と呼ばれ好まれたという。


唐代の中国茶は、「団茶」といって茶葉を蒸して固め日干ししたものを、飲む際に必要量削って鍋に入れて煮て、さらに少量の塩を加えて飲むものだったそうだ。たしかに7杯も飲めばもう何もお腹に入らなくなるだろう。
ちなみにこの盧仝さん、大変な清貧…といえば聞こえはいいが、貧困の極みのなかで万巻の書物だけに囲まれて生活していたそうだ。であればお茶を何杯も飲んで腹一杯になる…という上記の詩も、なにやら負け惜しみのようにも思えてくる。
その盧仝の最期は、たまたま時の宰相の宴会に招かれて出向き、そのまま邸に泊まったところ、翌日「甘露の変」が起きて関係が無いのに宰相とともに捕まってしまい、宦官どもに禿頭に釘を打ち込まれて死んだ…という悲惨なものだったとか。いろいろな教訓が読み取れるような、読み取れないような…。