『俳句の世界 発生から現代まで』

俳句の世界 (講談社学術文庫)
id:tinuyamaさんのこちらのエントリで知り、興味を覚えて早速購入したこの本。
俳句の歴史を大きく「第一部 俳諧の時代」と「第二部 俳句の時代」に分けて、限られた紙数のなかでかなり詳細にその変遷を追っている。
俳諧」は、和歌や書画などと同じく、共通の知識を持った人間同士で詠み評価する、閉じた世界の芸術だったと振り返っている。そのため俳諧を理解するためには、たとえば漢詩的素養であったり、古典の知識であったり、また「わび」「わび」「かるみ」などの技巧が必要だった。
しかし正岡子規が提唱し広めた「俳句」になると、閉じた世界ではなく、誰にでも開かれた芸術へと変容する。この辺、現実は微妙なのだが…。


その第一部、連歌の発句から俳諧が誕生し、松永貞徳、西山宗因、松尾芭蕉を経て、与謝蕪村から小林一茶ら幕末までの流れを読み終えた。
いろいろと自分のなかで誤解していたことや、初めて知ることもあり、目からウロコだった。
また、そもそも俳句(俳諧)とは何ぞや? という核心部分についても、モヤモヤしていたのが多少晴れた気がする。

わたくしたちが俳句を作るとき、芭蕉の「くちまね」をするにおよばない。何しろ東海道でござれ木曽路でござれ、てくてく歩いた時代の人なんだから。新幹線で九州まで行くわれわれが、芭蕉めいた句ばかり作るわけにはゆかない。しかし、俳句であるかぎり、かれの「叙述しないことによって叙述する以上に表現する」表現は不滅である。わたくしたちが芭蕉にまなぶことのうち、もっとも重要な点のひとつだと信じる。*1


著者の小西甚一氏の主観がかなり強烈に出ていて面白い。もともと大学で行った授業の内容を文章にしたものだというが、なるほど名物教授の講義を聞いているような気になる。
主観が入りすぎていて学問としてはアレかな、とも思ったが、お話として聞く分にはこれくらいが退屈しなくてちょうどいい。


今朝いつものように「NHK俳句」を見たのだが、この本を読んだ影響か、句も選者も非常に生ぬるく感じてしまった。

*1:原文は旧字体で書いてあります