『三島由紀夫対談集 源泉の感情』

源泉の感情 (河出文庫)
つれあいの出産に立ち会う間に、チラチラと読了。
三島由紀夫「自決」の1ヶ月前に初版が発行された対談集の文庫化。小林秀雄舟橋聖一安部公房野坂昭如福田恆存芥川比呂志石原慎太郎武田泰淳との対談と、「日本の芸術」という連載で、十五代坂東三津五郎(歌舞伎)、喜多村緑郎(新派)、喜多六平太能楽)、三代杵屋栄蔵(長唄)、豊竹山城少掾浄瑠璃)、武原はん(舞踊)との対談を収録。


のっけから小林秀雄との対談で、『金閣寺』をバッサリ斬り捨てられたりしているのが面白かった。

小林 …(略)ほんとにきみは才能の悪魔だね。堕ちてもいいんだ。ひるんだらダメですよ。
三島 いつ堕ちるか解らない、馬に乗ってるようなもんだな。
小林 才能のために身を誤ったら、本望じゃないか。ほんとに退屈しなかった、読んでて。才能の魔ですよ。(注・『金閣寺』の主人公が)由良川金閣は焼かなきゃならんと決心するまでね、あそこはサワリだ。だけども、殺すのを忘れたなんていうことは、これはいけませんよ。作者としていけないよ。だけど、まあ、実際忘れそうな小説だよ(笑)。
三島 (笑いながら)結論が出ちゃった。


かと思うと、石原慎太郎との対談で、『太陽の季節』を「障子を破る話」と言い切って*1、さらにはこんなお茶目な(幼稚な?)発言をする三島由紀夫

石原 ただ僕はほかのことをしながら小説を一所懸命書こうと思っているだけで。でも小説だけ書いたら自分がダメになっちゃうというのかしら。僕は二十八歳まで背が伸びていたんですよ。だから五十になり六十になるための自分の栄養とかそういうものを今でも蓄えておかないとね。三島さんみたいな卑小な肉体じゃないからね。
三島 裸になって比べよう。いつでも比べますよ。洋服着てちゃわからない。

どっちもどっち、という気もするが。


幼稚というか偽悪的な面といえば、安部公房との対談で「ウンコ」を連発する箇所もあった。

三島 …(略)それから僕はきみの好きなヘンリー・ミラーのやってるようなことも、もう認めないのだ。つまり、ヘンリー・ミラーがやってることは、セックスに関するきたない言葉も、政治、経済、それから哲学、われわれがなにか上部構造に使う言葉も、言語において等価ではないか、その等価であることを復活しなければ、人間は全体をつかまえられないのだぞという考えだろう。僕はね、品のいいものと悪いものとを非常に区別するのだよ。それでやはり、ウンコと言うよりも便通と言ったほうが品がいいと思うのだよ、おれは。そうしてね、そういうもののリファインメントというものだけに、そういうあやしげなものにだけ言語の洗練がかかっているのだというふうに、僕は考える。だからウンコと書けば、それは革命という言葉よりももっと強烈で、もっと下品だというふうに考えるのだ。そうするとだね、ヘンリー・ミラーがどんなにそれを主張してもだね、やはりウンコのほうが先に出てきちゃうじゃないかというふうに、僕は思うのだね。

いまとなっては、「ウンコ」というより「便通」と書くほうが、逆にアヴァンギャルドにも思える。


全般的に三島の発言は、あまり対談相手と噛み合っていない。一方的に自分の話をしている感じがする。

*1:ものすごい要約で笑った。