『UFOとポストモダン』

UFOとポストモダン (平凡社新書)
UFOやそれに乗って来るとされるエイリアンたちの、社会への受容され方の変遷を追うことで、「ポストモダン」意識の浸透を見ていく試み。
初期のエイリアンは「長身・金髪・碧眼・白い肌」という、言ってしまえば「白人」タイプの目撃談が多かったのだが、それが「低い身長・大きな頭・つりあがった白い目・灰色の肌」という「グレイ」がエイリアンの容貌として大勢を占めるようになり、最近では「フライングフィッシュ」など、人型ですらなくなってきている。
またUFOにしても、初期は文字通り空を飛ぶ飛行物体だったのが、ロズウェル事件に代表される墜落事故の噂が流れ、さらにはアメリカ政府が秘密の取引をしてその技術を教わっている…というように見方が変わってきている。
これらは何を示すのか?


この本を読んでいると、「しょせん人間は、社会常識の範囲の中でしか幻想を描けないのだな」と思える。あとで振り返ると、それが明白だ。
逆に言うと、本当に突拍子も無い幻想や陰謀説は、そもそも社会に受け入れてもらえないため、広まらないのだろう。
ちょっとだけ現実からズレている…というのが、ファンタジーが信じられる要件だ。


ちなみに本書は著者が文学の人だったので、パロールだのエクリチュールだの出てくる比喩がやたら文学的で、かつ一部構成に難があったと思うのだが、こういった分野のレポートでは、カーティス・ピーブルズの『人類はなぜUFOと遭遇するのか』という本が素晴らしい仕事をしている。
人類はなぜUFOと遭遇するのか (文春文庫)
こちらは「最初の」UFO目撃事件からその後のエイリアンによる誘拐(アブダクション)、キャトル・ミューティレーションなどなど、1990年代にいたるまでの各種エポックメイキングな事件について、やはり社会での報じられ方などを比較しながら、丹念かつ冷静に追っている。



いずれにせよ、UFOやエイリアンにまつわる騒動は、何故か常にアメリカ社会での出来事が流行の最先端になっている。ロシアでのUFO目撃談なんて、(確実にあるのだろうけど)あまり聞いたことが無い。
UFOは、ディズニーランドやマクドナルドやスターバックスの先輩と言えるかもしれない。つまりグローバリズムの一つの指標、というわけ。
昨今、とんと矢追純一さんの姿を見かけなくなり、UFO目撃談が聞かれなくなったのは、何か一つの時代が終わった象徴なのかしらん?