『天才伝説 横山やすし』

天才伝説 横山やすし (文春文庫)
小林信彦・著。昨年末にリキッドルームの売店で見かけて買ったもの。
横山やすし氏については、やすきよ漫才のパワーやその破天荒な生き方、さらには晩年の没落ぶりなどがあいまって、「漫才の神様」的な伝説ができあがってしまっている。それに対して本作は、公私にわたってやすし氏と親交があった著者が、現実の横山やすしを描こうと試みたもの。タイトルの「天才伝説」というのは一種の皮肉だと述べている。


まだやすきよが全国区ではなかった1967年、名古屋の大須演芸場で人気絶頂のコント55号と共演した際、横山やすしは一方的に「他流試合」と位置づけ、どちらが客を沸かせるかで「勝負」をすることにした。ところがどれだけ頑張ってもコント55号のほうがウケる。
コント55号が会場狭しと走り回るコントをやっていたのに対し、やすきよは直立不動の掛け合い漫才。

 そこで俺は考えた。向こうはコントをやっているし、俺は漫才やと。すると走るレールが違ごうたら俺の負けじゃないが、もし一緒のレールの上を走っているのなら、前の汽車がコント55号なら、俺の汽車は線路をかえなければ、追いつき、追越しはできない。当然の話である。
横山やすし自伝『まいど! 横山です』より)

何事も勝ち負け(やっさん流に言うなら「○」か「×(ぺけ)」か)で考える彼独特の思考が、この当時に既に特徴的に見られている。


筆者によれば、横山やすしは漫才の天才というよりも、「漫才ブーム」の盛り上げに利用された一つの才能に過ぎない、ということになる。ブームの終わりとともに、世渡りの上手なものは生き残り、不器用なものは退場を余儀なくされる…やっさんはまさに後者のほうだった。それだからこそ庶民の同情を集めたのだろうが。
上岡龍太郎氏も「やすきよの漫才は上方漫才史の中で過大評価されている」といったような発言をしているようだ。


そういう話を読むにつけて思うのは、現在の「お笑いブーム」なるものの行く末だ。ブームを作っているのは誰なのか? ブームで得するものは誰なのか? ブームで利用されているものは誰なのか?


他にもいろいろと興味深い記述は多かったのだが、結局のところ小林氏の個人的な話に終始していて、なんか…「結局あんたの話かよ」的な感じで鼻につくところも…。
あとこの本を読むと、なんだか西川きよし氏が悪者に思えてくる(笑)。