『大河の一滴』

大河の一滴 (幻冬舎文庫)
五木寛之・著。ブクオフ100円。うーん、正直言ってそんなに売れるような本かしら? と疑問に思います。みんな救いを求めてる(た)ってことでしょうが、これが売れる世の中って危ういなあ。
書いてあることはいいんだけど、でも200万部売れる内容ではないですよね。お酒を飲みながら人生経験の豊かな人にこういう話をシミジミとされたら、心にストンと落ちていくお話だと思います。
っていうか映画にもなっちゃってたのか。そちらは未見。


何が「大河の一滴」なのか。それはひとの人生のこと。
雨粒がやがて流れとなり、川にそそいで海に流れ込み、蒸発して雲となってまた雨として地上に落ちる…人の一生は、そんな循環、つまり輪廻の一部に過ぎないのではないかというのが、五木さんの考えです。
その循環のなかには、人間だけでなく地球全体が含まれている。善いことばかりでなく、悪いことも含まれている。いや、悪いことのほうが多いかもしれない。
しかしその悪いことを認めて見つめるところから、はじめて希望が見えてくる、…といったお話だと思います。諦めから生まれる希望もあるのかな。


五木さんがこの本で何度か繰り返し言っているのが、ヒトの免疫の話。免疫とは、異物を排除するのが役割ではなく、「自己/非自己」の最前線で、寛容性(トレランス)を発現する能力なのだ、というわけです。
これを演繹して、文明・国家・人種どうしも、もっと寛容になれるのではないか、というのです。「イエスかノーか」「敵か見方か」といった世界ではなくて、他者への寛容性を持つこと。


ちょっと違うかもしれませんけど、この本で述べられてるのって、「スローライフ」的な発想だと思います。そしてそれは、他者とか時間とか、とにかくいろんなモノとの「しがらみ」を増やすという発想だと思います。近代思想の捨てた、ドロドロした演歌的情念とか。野良仕事的ジョブとか。


それと、この本に書かれていたこととはあまり関係ないのですが、西洋科学の考え方って、「世界を説明している」というよりは、「この世の中で説明できる部分だけを抜き出している」のに過ぎないと思うんですよ。
そんで説明できない部分は「非科学的だ」とか言って捨て去る。思想的「囲い込み運動」というか。寛容性が無いんですね。
なので、世の中に科学で説明できない部分が存在していても、またそれを信じていたりしても、全然おかしくないと思います。はい。