宣長

桜といえば思い出すのが、本居宣長の歌。
「 しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
私自身は山桜よりも染井吉野みたいなふくよかに咲く桜のほうが断然好きですけど。この歌は「和魂洋才」とか武士道とか、そういうことを語るときによく引用されています。
今でこそ「宣長国学」みたいなイメージがあるので、「さすが宣長さん、うまいこと日本人の心を言い当てはるわ」なんて思う人もいらっしゃるでしょうが、宣長の同時代から現在に至るまで、「何を偉そうに言ってかつかるねん、お前ごときに日本人の心なんか代表されてたまるかい!」という御仁も多いわけです。
私は後者の考え方のほうが、まだ健全だと思いますけどね。
この歌はそもそも本居宣長の自筆の自画像に付けられた「賛」でした。国学で知られる宣長ですが、別に日本人全般のことや、ましてや武士道のことを述べたわけではないだろう、というお話が以下のページに載っていました。

『「敷島の歌」その後』(本居宣長記念館HP)
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/shikishima_sonogo.html

桜=日本なんてイメージは、せいぜいここ数百年*1の話でしょう? 平安時代は梅のほうが人気あった(?)くらいですし*2
桜の話からはちょっと離れますが、いつも「日本人は…」なんていう言説を聞くと胡散臭く感じるのは、「あなたの言う日本人って誰?」と思ってしまうからです。縄文時代だって弥生時代だって、もちろん明治大正昭和だって日本じゃん、って思って鼻白むのです。過剰反応か。

*1:もっと言うとここ1世紀くらいかも

*2:梅嗜好のルーツは、大陸からの輸入思想かもしれません