『土を喰う日々〜わが精進十二ヶ月』

水上勉・著。ISBN:4101141150
これも「美味しんぼ」のエピソードから話し始めて恐縮なのですが、山岡がいわゆる高僧と呼ばれる人たちをこきおろして、

「一汁一菜なんてのは健康に良いはずがない。それでも丸々としている人たちは、本当の神通力を持っているか、こっそりいい物を食べているんだろう。」

みたいなことを言っていたことがあります。ずっとそれが引っ掛かっていたのですが。
で、本書。
水上氏は9歳の頃から京都の禅寺に入れられ、お飾りではない生活に密着した精進料理を肌で学んだ経験があるとのこと。その後還俗され作家となり、軽井沢の山のふもとに家を借りて一年を過ごす中で、家の前の畑や山の中の植物と「相談」しながら、毎日の献立を考える。そんな日々のことが書かれてます。
そこで語られる「精進料理」は、なんていうか、まさに自然の恵みを最大限に享受し生かしきる日々のタツキなのですね。心底考え抜いてます。その辺を、曹洞宗の開祖・道元の著書「典座教訓」を引きながらこう語ってます。

道元さんという方はユニークな人だと思う。「典座教訓」は、このように身につまされて読まれるのだが、ここで一日に三回あるいは二回はどうしても喰わねばならぬ厄介なぼくらのこの行事、つまり喰うことについての調理の時間は、じつはその人の全生活がかかっている一大事だといわれている気がするのである。


大げさな禅師よ、という人がいるかもしれない。たしかに、ぼくもそのように思わぬこともないのだが、しかし、そう思う時は、食事というものを、人にあずけた時に発していないか。つまり、人につくってもらい、人にさしだしてもらう食事になれてきたために、心をつくしてつくる時間に、内面におきる大事の思想について無縁となった気配が濃いのである。

なるほどねー。俺も四季に関係なくいっつも飽食・偏食・雑食してる場合やないで、しかし。