『本が好き、悪口言うのはもっと好き』

高島俊男・著。ISBN:4167598019。古本屋の100円コーナーで発見。
いわゆる「市井の知識人」というか、中国や日本の文学に詳しい筆者が、古今の作家や「新聞人」を批判する痛快エッセイ集。知的好奇心が満たされて、すごく面白く読みました。



発表当初は各方面に影響を及ぼしたらしい「『支那』はわるいことばだろうか」という作品。「支那」という言葉は現在いわゆる放送禁止用語で、「シナチク」と言うのもいけないそうですね。高島氏は、支那という言葉の由来から、蔑称とされるようになるまでの経緯を述べ、最後に自説を展開します。
支那」という言葉はそもそも仏典などに由来する古い言葉であり、中国のある時代にも自国を指す言葉として普通に使用されていた、それ自体に差別の意味など決してない言葉なのだとか。それに対し、「中国」という言葉は国なのか王朝なのか民族なのか地域なのか、何を指すのか曖昧な名詞であり、使い勝手が悪いと指摘。漢民族や彼らの住んでいた地域を指して「支那」と呼ぶことのメリットを説くわけです。
この作品自体は初見でしたが、一時「支那という言葉の是非を再考しよう」みたいな論争がありましたよねー。さらにそれに反応して、「美味しんぼ」にもラーメンを「支那そば」というのはやめたほうがよい、とかいう回があったっけ。



まあそれも興味深かったんだけど、一番オモロかったのが巻末にあった「回や其の楽を改めず」という評論。
これだけじゃ何の話か分からないでしょうが、明治時代の京都(帝国)大学の創立当初のすったもんだを軸に、夏目漱石幸田露伴を京大に招聘した*1、狩野亨吉という人の半生を描いた作品です。
狩野氏は膨大な量の本を買いあさった読書家*2であったと同時に、春画のコレクターとしても相当なものだったらしく、自らもエロ画を描いてたりしたのが死後に大量に発見されたのだとか。しかもかなりえげつない内容のものだったそうです。。。

*1:漱石はこれを固辞して朝日新聞に入社したわけです。

*2:その蔵書のほとんどは東北大学に寄贈され「狩野文庫」と名付けられたそうですが、創立当初の東北大学の全蔵書の実に4分の3は狩野文庫で占められていたとか!