にわかボブ・マーリーブーム

ボブ・マーリー―レゲエを世界に広めた伝説のミュージシャン (伝記 世界の作曲家)
図書館で児童書コーナーを見ていて、「伝記・世界の作曲家」というシリーズの一冊にバッハやモーツァルトに混じってボブ・マーリーが入ってるのを発見。並み居る世界の作曲家ラインナップ*1からあまりに浮いていたのが逆に気になって、うっかり借りてきてしまった。
基本的に少年少女向けなので活字も大きい上に、「ラスタファリ」や「スカー」「レゲエ」といった単語はもちろん、「マリファナ」「ガンジャ」といった問題ワードにまで分かりやすい注釈が付けられており、それでいて伝記としてもしっかり読める。奥さん以外の女性との間にも大勢子供がいたことや、死後の遺産争いについてもちゃんと言及されている。これまでボブ・マーリーのことをよく知らなかった私のような方には、かなりオススメの一冊。


レゲエとかスカというと、陽気な兄ちゃんたちが能天気に歌い踊る音楽だと思っていたけれど、その根本にあるのは、アフリカから西インド諸島に奴隷として連れて来られた黒人たちの、抑圧への怒りと解放の訴え、そして平和の希求だったと、本書を読んで初めて知った。それをおどろおどろしいビートに乗せるのではなく、あえて明るいリズムに乗せたところが逆にリアルだとも思えるし、切羽詰まっている様子も感じ取れる。
レゲエは、黒人の悲しい歴史に由来する音楽という点ではブルースやジャズと同じルーツを持つとも言えるし(事実アメリカからカリブ海を越え電波で届くジャズやブルース音楽の影響を、初期レゲエは受けていたという)、プロテストソングという意味では最初期のロックンロールやパンク、そして後のヒップホップにも通じるものがあると言える。

「ブラック・エコーズ」という雑誌は、マーリーたちの登場を、人種を意識しながらドラマチックにとらえ、一九七六年六月号に、こう書いている。
「白人の若者には、ヒーローがいなくなった。ミック・ジャガーは金持ちの社会主義者となり、ボブ・ディランも甘いマイホーム主義者になった。ジョン・レノンさえ、あまり口を開かなくなった。そこへ、この男が、おかしなもじゃもじゃ頭でやってきた。『放火や略奪』『洗脳』について歌いながら……。ヒーローを求める若者の夢は、生きつづけている。」

…このあたり、ボブ・マーリーとレゲエが当時どのように受け止められていたかがうかがえて、興味深い。


余談だが、Dragon Ashの「Greatful Days」のラップパートでZeebraが口にしている「そうこの地この国に生を授かりジャーに無敵のマイク預かり」の「ジャー」というのが何なのかずっと分からなかったのだけれど、これはラスタファリズムでいう神様のことだったと、本書を読んでようやく分かった。少年少女向けの注釈によると、以下のようなものらしい。

ジャー
ラスタファリのメンバーが信じる「ジャー・ラスタファリ」で、神を指す言葉。エチオピア皇帝だったハイレ・セラシエをさす場合もある。

あとこんな記述もあった。

 ラスタの人々にとってレゲエとは、演奏者や聞き手を楽しい気分にさせてくれるだけでなく、ジャーを崇めるためのものである。ジャーとは、エホバの短縮形にあたる言葉で、ラスタファリ教徒の間では「神」を意味し、一方「レゲエ」という言葉も、ラテン語で「神へ」という意味をもつという。


そしたらタイムリーにも今日の昼間にBSハイビジョンでボブ・マーリーの特集番組が放映された。
ハイビジョン特集 世紀を刻んだ歌「ワン・ラブ ボブ・マーリー」
録画してザーッと見たのだが、何故か鈴木紗理奈がレゲエファン代表として出ていて、鼻白んだ。確かに大阪(関西)ではレゲエが盛んではあるけれども。
あと、過剰に「One Love」だけが取り上げられていたのも、ボブ・マーリー本人としてはどうなのだろうか? 番組自体がそういう特集だったので、しょうがないと言えばしょうがないのだが。もっと挑発的な歌も歌っている人なのに。

*1:「伝記・世界の作曲家」シリーズ全15冊で紹介されているのは、ビバルディ、バッハ、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトショパンチャイコフスキードビュッシードボルザークグリーグバーンスタイン、そしてジョン・レノンボブ・マーリーエルトン・ジョンスティングの15人。後半4人がちょっとおかしい。人選を見て分かるとおり、どうやらこのシリーズはもともと英国で編まれたもののようだ。

グレン・グールド

http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200805/tuesday.html
4回シリーズの今夜が最終回。見よう。


…で、見た。グレン・グールドというと、これまで「コンサートを拒否してひたすらレコーディングで作品を発表し続けた天才&奇人」というイメージだった。今回のシリーズを通してみて、その奇人の背景にあるものが、若干理解できたような気がする。
彼はきっと、ものすごく数学的というか理論的に音楽を愛し演奏していたのだと思う。そこが、彼が敬愛してやまなかったバッハの構造的な音楽としっくり来たのだろう。
マニアックなまでの「完璧な演奏」への追求は、同じ曲の演奏を何テイクも撮りためて、納得がいく部分を継ぎはぎして一枚のレコードにしていたという、およそクラシック奏者とは思えないレコード製作方法に、顕著に現れている。
そこまでして彼が追い求めたのは、きっと自分がいなくなった後もずっとこの世に残る音楽、その不滅性だったのではないか。