『冠婚葬祭のひみつ』

冠婚葬祭のひみつ (岩波新書)
祖父の一周忌に帰るついでに読んでみた。文芸評論家の斎藤美奈子さんが、古今の「冠婚葬祭マニュアル本」を渉猟し、これら儀式イベントの時代ごとの変遷を読み解いた、なかなか面白い本。
冠婚葬祭と一口に言うが、「婚」と「葬」はまだしも、「冠(=男児の元服の祝い)」や「祭(=祖先を祭る年中行事)」などは現代ではそのままの形ではもはや生き残っていない。その代わりかどうかわからないが、昨今のマニュアル本では、「冠」は子供が大きくなるまでに行われる様々なイベントごと(命名や百日参り、お食い初めに始まり、節句や七五三など)の説明になり、「祭」はその他の年中行事の解説に置き換えられているそうだ。
こういうのを読んでるから、やたらと子供の行事に参加する若い夫婦が増えてるのか…。


冠婚葬祭、それぞれにコンパクトかつ的確に歴史的変遷が語られており、いろいろと興味深い記述は多かったのだが、とくに面白く読んだのは、結婚式も葬式もそれぞれ時代のニーズにあった形にどんどん変わってきており、いわゆる「しきたり」なるものも、ほんの百年前には無かったようなものばかりだということ。冠婚葬祭ともなると「常識人」が大変重宝がられたりするのだが、そんな「常識」も一皮向けばビジネス(金勘定)の都合で明治からこっちに作られたものがほとんどだという。


しかし、そうはいっても冠婚葬祭は大人(社会人)になったら避けては通れないもの。
「なんか変だよな…」と思いながらも「しきたり」に押し流されて参加している人がいたら、ちょっとこの本を読んでみて、変だと思うのが普通だということをぜひ再確認してもらいたい。

『読みにくい名前はなぜ増えたか』

読みにくい名前はなぜ増えたか (歴史文化ライブラリー)
先日旧友たちと飲みに行ったときにもこの話題になったのだが、近頃は本当に変な名前の子供が多い。変というのが語弊があるなら、まさに本書のタイトルのように「読みにくい名前」と言うべきか。
対数が増えたのか、単に目に付くようになっただけなのか…?
ちなみにどういう名前があるのかという(極端な)例として、某掲示板に寄せられた情報をまとめたサイトがあるので、ちょっと見ていただきたい。「本当にこんな名前の子供がいるの?」と思わず我が目を疑ってしまうが、まあいるのだろう(もしこのサイトをご覧になった方で、御自分のお子さんの名前がこのリストにあったなら、申し訳ありません)…。

DQNネーム
http://dqname.jp/

夜露死苦」と書いて「よろしく」的な当て字ならまだいいとして、最近とみに増えているのが「月」と書いて「るな」と読ませたり、先日も紹介したような「宇宙」と書いて「こすも」と読ませるような、漢字本来の読みとは無関係に意味だけで訓を付ける名前、これは本当にもうなんとかならないものか。
人名漢字は、使っていい漢字は決められているものの、その読み方については全く自由なのだそうだ。そのためこんな事態が起きているのだが、しかしこれでは…初対面の人が絶対読めるわけないと思う。それとも今後「月」に「るな」とルビが打たれるのが当たり前になっていくのだろうか…。
また当て字の場合でも、なんだかよくわからない「じゅきあ」だの「おりびあ」だのは、これが本当に我が子が大人になり責任ある立場になったときに相応しい名前だと思って付けてるのだろうか(…思ってるんだろうな)。


本書の筆者である佐藤稔氏は東北の某大学の教授だそうで、ここ数年「読みにくい名前」の学生が増えてきたことから、このテーマに取り組み始めたそうだ。
とはいえ本書は、「名付けとは」といった根本的な説明や、古今の変な名前などを、多数の例をもとに示してはいるものの、表題の「なぜ増えたか」については、明快な回答は書いていない。あえて言うなら…という感じで、以下の3点を挙げてはいたが。

  • 「名付け指南書」の存在。どれもみな言葉(漢字)の専門家ではなく、占い師や適当な人物によって書かれている。
  • 芸能人の影響。芸能界が特別な世界ではなくなったため、普通の子供にも芸名のような名前が氾濫するようになった。
  • 社会の文化的二極化の影響。奇妙な読み方に違和感を持たない、教養の無い親やそれを取り巻く階層が増えている。

…3点目などは著者自身も「反発を覚悟の上で言えば」と注釈を加えているが、これは身も蓋もない仮説だなあ。
これらに加えて、私なりに考えてみた理由は、以下のとおり。

  • とくに若くして子供を持つ親について。「子を持つ」という初めて自分で主体的に何かを作り出す行為に直面し、度を越してはしゃぎ過ぎてしまうのではないか。
  • 晩婚少子化により、我を通すカップルが増えてきたため。親(祖父母)も「変な名前だな」と若干は思いつつ、我が子かわいさで(あるいは議論に負け)反対ができない。
  • 名付けや子育てが親の自己表現手段になってしまったため。


まあしかし、変な名前を付ける親というのは昔からずーっといたようで、吉田兼好本居宣長もこんな記述をしているくらいだ。

人の名も、めなれぬ文字をつかんとする、益なきことなり。何事もめづらしきことをもとめ、異説を好むは、浅才の人のかならずあることなりとぞ。
(『徒然草』第116段)
近き世の人の名には、名に似つかはしからぬ字をつくこと多し、又すべての名の訓は、よのつねならぬがおほきうちに、近きころの名には、ことにあやしき字、あやしき訓有て、いかにともよみがたきぞ多く見ゆる、すべて名は、いかにもやすらかなるもじの、訓のよくしられたるこそよけれ
(『玉勝間』十四の巻)


…もうすぐ第二子が生まれるのでその名前を考えているところなのだが、まあせいぜい「DQNネーム」のサイトに採録されないような常識ある名前を付けたいと思う。


【補足】

  • 私自身は、割と変わった名前を付けられた。親が30年前に付けたにしてはハイカラな名前だったと思うが、子供のときにこの名前のことで悩んだ覚えはない。呼びやすい名前なので、小中高大そして現在と、一貫してあだ名は下の名前の呼び捨てになるパターン。最近はこの名前(同音異字含む)をちょくちょく目にするようになってきた。時代が追いついてきたのかな(言いすぎ)。
  • 上のようなことを書いておきながら、一昨年生まれた第一子(男)には割と変わった名前を付けている。ただ漢字の音読みそのままなので難読ということはないと思うし、意味があっての名前だし、あとネットで検索してみたら昔の有名な建築家や儒学者なんかにも同名の人がいた(儒学者のはきっと字(あざな)だけど)。以上、息子の名前を知る何人かにつっこまれたので、その言い訳…。