NHK特集「手塚治虫・創作の秘密」

日曜日深夜に放送されたNHKアーカイブスの録画を見た。1986年放送のNHK特集「手塚治虫・創作の秘密」
「漫画はハングリーアート」と言い切る手塚治虫の仕事ぶりは、すでに各所で語られているところだ。締切を過ぎた何誌もの原稿を抱えて、編集者を泊り込みで待たせて、ギリギリの土壇場で描き上げるのだが、またすぐに次の締切が待ち構えている…そんな漫画家生活40年間。


フランスへ発つ飛行機の搭乗直前まで原稿を描いていた手塚氏が、もう本当に間に合わなくなって、結局フランスからFAXで送ることになる。「ファクシミリで送ったら原稿がつぶれちゃうけど、トレースにはなるか」と言っていた。
ITの発達した現在だったらネットに繋がればどこにいても絵を送れるだろうから、それこそ機内からでも1ページ描き上がるごとに送信することもできる。でもそれって便利だけど、どこまでも締切が追いかけてくることになる。地獄が広がることになるのか。


このドキュメンタリーの中で氏は、「小さい絵が描けなくなった」「丸が描けなくなった」と弱音を吐く一方、「アイデアはバーゲンセールできるぐらいある」と豪語していた。迫り来る肉体的な衰えに、何よりもあせりを感じていたのではないだろうか。

リモコンカメラがとらえた漫画の神様の正体は、3日間で3時間の仮眠をとり、店屋物のチャーハンを食べながら構想を練り、必死になって漫画を描く姿でした。

番組の最後で1本の原稿を描きあげ、「いやー終わった」と伸びをした手塚治虫。しかし「まだ仕事があるんですか?」というディレクターの問いに、「42ページ。明日の朝までにやらなきゃいけない」と言って白紙の原稿用紙を見せていた…。

デビューして40年。手塚治虫はあと40年、100歳まで描き続けたいと言っています。いまが一番苦しい折り返し点です。

手塚治虫はこの番組の放送の3年後、1989年(平成元年)に60歳で亡くなった。氏は病床でも遺作となった「ネオ・ファウスト」(未完)の原稿を描き続けていたという。

栄養の問題?

上記の番組を見ていて手塚治虫とは無関係に思ったのだが、出てきた人すべて、虫プロのアシスタントや編集者はもとより、出版社の人、五十日(ごとうび)に神保町の書籍卸に並ぶ書店店主たち、珍しくベレー帽なしで手塚が降り立った広島駅でホームにいた人々、フィルムフェスティバルで手塚の作品を見る親子連れ、その他通りすがりの人まで含め、プクプク太った人が一人も映っていないのだ。
この番組が放送された1986年って、たかだかいまから20年前なのに、栄養状況が違ったのかな? みんな痩せていた。

モード

昨夜放送のNHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」の録画を見た。菊地成孔による、マイルス・デイビスの評伝の第2回。
今回はマイルスがフランク・シナトラのスタイルを参考にしていたことや、黒人差別に対する反撥に由来する「かげり」を持っていたことなどが紹介されていた。確かに人種差別については、自伝の中で何度と無く怒りをぶちまけていた*1
そうした「オシャレ」と「かげり」の中から生まれたのが名盤「Kind of Blue」で、これにより世に広まった「モード奏法」について、またもや菊地氏がわかりやすく解説をしてくれていた。「コードではなく音階で…」という字面だけの説明は知っていたのだが、それがどういうことなのかようやくわかった。
旋法 - Wikipedia
俳句で言うと、5・7・5の定型句がコード・ジャズで、俳味を根源に残しつつ5・7・5を離れた自由律がモード・ジャズなのかな。

*1:3月24日の日記を参照。