『仮面の告白』

仮面の告白 (新潮文庫)
中学生の頃に初めて読んだときは、「秘められた同性愛の告白」というプロットに、物凄い淫靡な匂いを感じながら本書を手に取ったものです。
しかし読後の感想は、「…すげー長い言い訳に付き合わされた」といった感じでした。そもそも「告白」だから言い訳めくのは当たり前かもしれませんが。


で、大人になって再読して、全体として「言い訳っぽい」という感触は変わりません。
幼い頃からの自分の嗜好に、「悲劇的なもの」とか「宿命」とかいう分類シールを丁寧に貼って、几帳面に陳列棚に保管し、学者のようにそれ(自分自身)を眺める三島由紀夫…というイメージでしょうか。
「自分の人生を生きない」…という選択をして、それを潔く全うしたというよりは、必死にしがみついていたのかな、と想像します。
ただ、製図のように緻密な計算で構築された小説世界の裏に、三島由紀夫の弱さというか、外界(自分の美意識の埒外)への恐怖心みたいなものが垣間見えて、今読むとむしろ愛おしくすら感じます。


本書の主題がよく出ている部分を抜書きします。

 ──ところがこの不埒な嗜好(引用者注・同性愛のこと)は、私にとってはじめから論理的に不可能を包んでいた。およそ肉の衝動ほど論理的なものはない。理智をとおした理解が交わされはじめると、私の欲望は忽ち衰えるのだった。相手に見出されるほんの僅かな理智ですら、私に理性の価値判断を迫るのだった。愛のような相互的な作用にあっては、相手への要求はそのままこちら自身への要求となる筈だから、相手の無智をねがう心は、一時的にもせよ私の絶対的な「理性への謀反」を要求した。それはどのみち不可能だった。それで私はいつになっても、理智に犯されぬ肉の所有者、つまり、与太者・水夫・兵士・漁夫などを、彼らと言葉を交わさないように要心しながら、熱烈な冷淡さで、遠くはなれてしげしげと見ている他はなかった。言葉の通じない熱帯の蛮地だけが、私の住みやすい国かもしれなかった。蛮地の煮えくりかえるような激烈な夏への憧れが、そういえばずいぶん幼ないころから、私の中に在った。……

この回りくどさを見よ(笑)。まさに「ザ・言い訳」。
これだけ書き連ねながら、直截的には「何も言っていない」のです。何かが伝わってくるとすれば、それは聞こえてくるのではなく、我々読み手が感じているのです。


この小説は、4章仕立てになっています。

  • 「女装・扮装癖」に憑かれ「汚いもの・悲劇的なものへの嗜好」に気づいた幼年期
  • 「下司ごっこ」や「頬に置かれた皮手袋」などにまつわる近江青年との淡い「初恋」が、自らの腋に生えた毛を見ながら磯でオナニーをしてしまう挿話とともに幕を閉じる少年期
  • 年頃の男らしく振舞おうと努めるうちに、意図に反して始まり、また意図に反して終りを告げる、友人の妹・園子との(見せかけの)恋
  • 終戦後の虚無的な生活の中で重ねられる、いまや人妻となった園子との奇妙な逢瀬

この中で私は、抜けて第4章が好きです。分量的にも、またエピソード的にも、下手をすると蛇足になったかもしれないところですが、この短いエピソードで主人公の虚無や園子の生命力など、全てを表現しきっているところが、さすがだと思います。