ハスとライム
長らく「ハスの咲く家」というのにあこがれがあり、北海道に住んでいた2年間はともかくとして(寒くて育たないから)、何年かにわたりハスの栽培にはチャレンジしている。が、いまのところちゃんと花がついたことは一度もない。
今年もまた、花を見ることなく夏が終わりそう。
9月に入って投げ売りになっていた、立派な葉の新たなハスの苗を買ってきた。鉢も常滑で買った大きめのものに丸ごと土植えしてみた。先月書いたメダカの大量死以来、ちょっと臆病になってはいるが、ここにはシマドジョウを2匹投入し、いまのところなんともなく生きている。
あわせてこの秋から、ベランダにライムの鉢を置いてみることにした。
実のなる鉢があると、季節の巡りが楽しみになるかな。今日はとりあえず、買ったときからなっていた実をもいでジントニックを作り、ベランダでちびちび飲もうかな。9月に入ってすぐに亡くなった、あの作家さんのことなどを思い出しつつ(さっき確認したら、ブログがまだ残っていた)。
BGMはこの曲で。
夏が終わる
先週あたりから暑さが弱まり、なんなら夜半には虫の音が聞こえてきたりするようになった。
そんななか、悲しい出来事が。
東京に引っ越してきてから飼いはじめたメダカだが、5匹いた成魚と、その後生まれて成長していた5匹の子どものうち、6匹がバタバタっとこの週明けに死んでしまったのだ。原因は不明だが、たぶん酸素が足りなくなったのではないだろうか。
残ったのは4匹の稚魚たち。来年まで頑張って生きのびて、また夏に卵をたくさん産んでほしい。
片岡義男のこと
文具好きの私にとって、片岡義男さんは以前から気になる存在ではあった。氏のガジェットへのこだわりようと、欧米の文具への造詣の深さは、たびたび著作に片鱗がのぞくところで、こういうと僭越ながら「趣味が合うな」と思っていた。
その辺が入口となって、氏の小説も何篇か読むに至ったのだが、これはこれで興味深いというか…。うっすらと感じてはいたが、巨大な金脈を掘り当てた印象だ。
何がよいといって、日常のなかの微細な描写の積み重ねによって、フィクションなのかドキュメンタリーなのか境界線があやしい作品世界がつづられ、で、結局「何もない」まま終わるところなのだ。
「何もない」のは、そこから新たな何かがはじまるからなのか、ドラマが無いのが現実世界だよということなのか。
ニヒリズムではなく、温かみのある虚無がそこにはあって(虚無があるというのも反語的だが)、そこがとても気に入っている。