ギョベクリ・テペ遺跡

ちょっと前の「Newsweek」誌を読んでいて、へーっと思わされた記事があった。トルコにある「ギョベクリ・テペ」という遺跡が、ちょっとした古代史のパラダイムシフトを投げかけている…というものだった。

要約すると、これまで学者の間では、「原始文明では、人が集まり定住し、都市ができてから宗教ができた」というのが定説だったが、このギョベクリ・テペ遺跡を調べると、「まず宗教的な施設(聖地)ができて、その周囲に自然発生的に都市ができていった」…ということになるそうだ。しかもこの遺跡、四大文明をはるかにしのぐ、1万1,500年も前に最初の宗教施設が作られているというから、驚きだ。

The site is such an outlier that an American archeologist who stumbled on it in the 1960s simply walked away, unable to interpret what he saw. On a hunch, Schmidt followed the American's notes to the hilltop 15 years ago, a day he still recalls with a huge grin. He saw carved flint everywhere, and recognized a Neolithic quarry on an adjacent hill, with unfinished slabs of limestone hinting at some monument buried nearby. "In one minute―in one second―it was clear," the bearded, sun-browned archeologist recalls. He too considered walking away, he says, knowing that if he stayed, he would have to spend the rest of his life digging on the hill.

1960年代にこの遺跡を発見した考古学者は、それが何を意味するのか理解できなくて何もしないまま去ってしまった。その時の記録を元に、シュミットという別の考古学者がこの場所を再発見した際、「これに関わると残りの生涯を全てこの遺跡の発掘に費やすことになる」と悟り、同じように歩き去ろうとしたという(実際にはその後も現地に滞在し、トルコ人女性と結婚して腰を落ち着けて発掘に当たっている)。それくらいの大発見だった、というわけだ。
以前ここでも紹介した偽書東日流外三郡誌」ではないけれども*1、これまでの発見からあまりに隔絶した新発見というのは、半分眉唾で聞いたほうがいいのかもしれないが、今後研究が進めばよりいろいろな発見があるかと思うと、楽しみだ。


記事の内容やその批判は、こちらのブログにさらに詳しいので、興味を持たれた方はご参照を。
ギョベクリ・テぺ(Göbekli Tepe)遺跡のこと: 極東ブログ

*1:東日流外三郡誌」については2009年12月27日の日記参照。