『鍵のかかる部屋』

鍵のかかる部屋 (新潮文庫)
10代に物した「彩絵硝子」「祈りの季節」から、市ヶ谷での自決直前に書かれた生涯最後の短編「蘭陵王」まで、いろいろな時期に書かれた作品を集めた、三島由紀夫の短編集。
初期の作品は王朝文学の影響が色濃く、背後の意図が読み取りやすいかどうかは別として、人物配置が非常に図式的で分かりやすい。
「慈善」「訃音」「怪物」等の中期の作品は、三島の人物観察の鋭さ…というか、小悪党に対する意地の悪さが存分に筆に発揮されていて、読んでいて愉快になる。話自体は悲惨なものも多いのだが、この辺りの「筆が滑った」ような人物描写こそが、私が三島を好きな理由の一つなのだ。
「死の島」辺りでは叙情的な情景の中で唐突に語られる死の予感に驚かされ(それも恣意的なものかもしれないが)、「江口初女覚書」や「山の魂」では実在人物であるかのように生き生きと悪女・悪党の一代記を描ききり、「蘭陵王」では実体験をリリシズム溢れる筆で記録しながらどこまでが本当でどこからが幻想か、境界が分からなくなってくる。
それほど力を入れて書かれた作品は無いように思えたが、三島作品の数々の特徴が、ここに収められている短編のどれにも見られて面白かった。


表題作「鍵のかかる部屋」は、財務省に入省したてのエリート官僚が、ふとした契機である女性との「鍵のかかる部屋」での不倫の情事にふける話。その女性の死で関係は終わるかのように思えたものの、後に遺された9歳の少女と「部屋」が、不思議な魅力で青年を取り込んでいく…。

 一雄は自分が煙草を吸っているのに気づいた。煙草をもちかえて、右手の中指が脂(やに)でほんのり代赭(たいしゃ)色に染まっているのを見た。外界が彼の指を染めている確実な証拠。外界はいつも彼にむかって同じ形で襲う。習慣という形で。ともすると悪習(ヴァイス)という形で。そいつは、まるで知らない間に、着実に犯す。

こうした「外界」が、女性が扉にかける「鍵」によって遮断された部屋。外部からの隔絶に酔う青年だが、物語の最後では、青年自身が「外界」となってしまうという皮肉。
途中青年官僚が夢で見る陵辱バーの話とか、9歳の少女がなまめかしく迫ってくる様子とか、なかなかの問題作ではあった。