『私の遍歴時代』(その2)

私の遍歴時代―三島由紀夫のエッセイ〈1〉 (ちくま文庫)

  • 「学生の分際で小説を書いたの記」

学生小説の募集を行っている雑誌向けに、三島由紀夫が自身の学生時代の執筆活動を振り返って記したエッセイ。
このエッセイの最後に、三島があちこちのエッセイで何度も引用しているゲーテの『ファウスト』の一節を記している。

「人間は知らないことが役にたつもので、知っていることは用にも立たない。」

この言葉で三島は自身の青春時代の無知、無謀を懐かしく振り返り、またそこから遠く離れてしまった現在の自分を嘲笑しているのだ。

  • 「作家と結婚」

三島由紀夫が見合結婚するなんて、彼もやっぱり普通の男にすぎなかったのね」とある女性がうそぶいていたと知らせてくれた親切な友人があるし、別な友人はまた、僕くらい誤解されやすい存在は少いと云った。

…上記のような書き出しで始まるこのエッセイは、瑤子夫人との見合結婚の顛末を軸に、三島の結婚観を婦人公論に書いたもの。

 僕は文学がわかるような顔をする女は女房には持ちたくないと日頃から云ってきた。自分の作品だって読まない方がいいくらいだ。しかし、だんだん読むようになるのは仕様がないし、読ませまいとして鍵をかけたところで本屋で買って読んだら仕方がない。しかし批評だけは絶対にしてもらいたくないと思っている。最後の譲歩として、読んでもいいけれども、いいとか悪いとか云うなと今から云っておくつもりである。

  • 「ぼくはオブジェになりたい」

三島由紀夫が主演した「からっ風野郎」という珍奇な映画がある。
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この映画に三島が出るようになったきっかけが、この奇妙なタイトルのエッセイには書かれている。
それによると、小説「鏡子の家」の映画化にあたり、大映の永田社長に「一度会いたい」といわれて会いに行ったところ、「別の映画に主演してくれ」といきなり誘われたのだとか。

 永田社長は、今の映画界にいちばん大事なことは企画であるという。企画とはつまり観客をキャッチすることだ。観客をキャッチするには、もちろん内容も大切だけれど、まず観客に切符売場まで来てもらわなければならない。それにはアッというものが必要で、そのためにぼくが欲しいという。つまり身もフタもない話をすれば、ぼくのネーム・ヴァリューが欲しいということだ。

…随分あけすけに誘われたものだが、ともあれ三島氏もまんざらではなかったらしく、ホイホイ話に乗ったようだ。
「俳優になってみるのも面白そうだ」みたいなことを書いていて、割と客観的に冷静に出演したようなことが書いてある。しかし、私はこの映画を見たことがあるし、現在はDVDも持っているのだが、三島先生の気負いこんだ大根演技ときたら! 学芸会の小学生のほうがまだ気のきいた役者ぶりを見せるだろう。
三島由紀夫の常人離れしたところは、運動にせよ演技にせよ、物凄く不器用なのに、本人はできたつもりになってまんざらでもないところだろう。マルチタレントのようでいて、実際は周りが見えないただの文学オタクだったと言ってもいいのではないか、と思えてくる。

 相手役の名前は言えない。オブジェには口はないからである。しかし実際問題として、白坂依志夫氏のシナリオが固まらなければ、相手役も固まらない。ぼくは濃厚なラヴ・シーンを注文しているが、家内は反対している。
 増村氏には、自信のあるのは胸毛だから、よろしく願いますと挨拶しておいたが、そんなに自信がありますか、と聞かれた。まだ見せていないから、わからないらしい。

…こんなことをまったく臆面もなく書くのである。

  • 「実感的スポーツ論」

スポーツで身体を鍛える重要性について衒いなく書き綴った一編。これを読むと三島は三十歳の夏にボディービルをはじめ、これをきっかけにボクシングをやったり、剣道をはじめたりしている。つまり今の私と同じくらいのタイミングで、唐突に身体を鍛えはじめたのだ。