東京へ来た

2年前に本州を離れたときは花粉症がひどかったのだが、3月頭に東京へ越してきて、いまのところまだそんなに症状が出ていない。

北海道は花粉がほぼゼロの土地だったので、2年間でデトックスされたということだろうか?

まあいずれまた、飽和してグジュグジュになるのかもしれないが。

東京へ

前のエントリを書いてから、旧はてなダイアリのほうで引き続き更新していたので、こちらの記事が2014年でストップしてしまっていた。追加でインポートするやり方がよくわからないのだが、順次強制移転してくれるのだろうか?

さてその5年間のあいだに、名古屋から札幌へ引っ越し、さらにこの3月から東京へ引っ越す予定。

生々流転です。

謎の桃太郎神社

普通「桃太郎伝説」といえば岡山と結び付けられるのだが、木曽川沿いにも「桃太郎伝説発祥の地」とする伝承があるらしい。川沿いに桃の木が多くあり、桃太郎の話に出てくるキーワードが周辺の地名(大桃、犬山、犬石、猿洞、猿渡、猿噛城祉、堆ケ棚、推ケ峰、鬼ケ島、宝積地など)に見られることが根拠となっているようだ。
これにちなんで、犬山市にはその名もずばり「桃太郎神社」というのがある。何の気なしに訪れてみたら、これが珍妙なコンクリート像が立ち並ぶ奇怪な神社だった…。
 

世にも珍しい「桃の鳥居」。

他にも境内には秘宝館のようなものがあったりして、なかなかに数寄心をそそる神社だった。

桃太郎神社
http://www.yha.gr.jp/momotaro/shrine.html

如庵

犬山城に隣接する名鉄犬山ホテル内の庭園に、織田有楽斎(信長の弟)が作った茶室「如庵」があるというので拝見してきた。もともとは京都の建仁寺に作られた茶室だが、明治の財界茶人のもとを回りまわってこの地に落ち着いているもの。


有楽斎は信長の弟でありながら、関が原の合戦や大阪冬・夏の陣を越えて江戸の黎明期まで生を全うし*1、茶人として余生を過ごした興味深い人物である。
必要最低限で簡潔ながらも狭くは感じさせない茶室。この閉じられた空間で茶を点てつつ、有楽斎が思いを馳せたのは何だったのだろうか。
ちなみに「如庵(じょあん)」というのは、有楽斎のクリスチャン・ネーム「ジョアン」にちなんだものだという。

*1:晩年徳川家康から江戸にも屋敷を拝領し、その跡が現在の「有楽町」にあたる。

「昇龍道」

皆さんは「昇龍(竜)道」という単語をご存知だろうか?

中部運輸局北陸信越運輸局及び中部広域観光推進協議会は、中部北陸9県の自治体、観光関係団体、観光事業者等と協働して中部北陸圏の知名度向上を図り、主に中華圏からインバウンドを推進するため、「昇龍道プロジェクト」を立ち上げました。
昇龍道プロジェクト【中部運輸局】

ということで「昇竜道」というのは、ようは官主導で制定された、日本列島を真ん中で縦断して東海・中部・北陸を結ぶ観光ルートのことなのだが、はっきり言って関係する官公庁以外での認知度はほとんどゼロに近いのではないだろうか? 私は愛知のことをいろいろ勉強している中でたまたまこの言葉に出会ったのだが…。


だいたい、太平洋側と日本海側を一緒くたに「中部北陸9県」というくくりからして乱暴だと思うのだが、工業県である愛知から大陸への輸出最短距離として、なんと東海から北陸を結ぶ運河を掘ろうという壮大な計画がかつて真剣に検討されていたというのだから…。

日本横断運河(にほんおうだんうんが)は、1960年代に日本で計画された運河である。中部横断運河とも呼ばれた。
揖斐川と琵琶湖を利用して伊勢湾と敦賀湾とを運河で結び、1万トン級以上の大きさの船舶を通そうという計画であった。
計画当初は中京地域を中心に議論が進められ、中部運河の仮称で呼ばれていた。
日本横断運河 - Wikipedia

そういう意味で東海北陸道の開通は、とくに中部の太平洋側にとって悲願だったらしい。


私がかつて新潟に住んだときにも、やはりいろいろ地元のことを調べたりしたのだが、その中で田中角栄が「関越トンネルのあたりの山を爆破すれば新潟の雪が減る」と言っていたのを知った。

田中角栄が選挙民向けに行った演説として、「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」というものがある。
三国峠 (群馬県・新潟県) - Wikipedia


かつて日本の背骨に風穴を開けようとした人が何人もいたということを、新潟と愛知に住んで初めて知った。日本は狭い島国だけど、やっぱりその土地その土地に住んでみないと理解できない情念みたいなものは確実にあると思う。