回数券文化

名古屋といえば喫茶店。
感覚的に言っても街中で喫茶店は多いし、ドリンクに無料でトーストやゆで卵がついてくる「モーニング」の慣習など、文化的にも名古屋と喫茶店は密接な関係にある。統計局の「家計調査」2013年版速報値を調べてみても、二人以上の世帯の品目別支出で「喫茶代」の金額は、大阪市が世帯あたり年間平均6,875円、東京都区部で同9,023円のところ、名古屋市ではなんと14,389円となっている。これは、次に多い岐阜市の11,925円に大きく水をあけての、都道府県所在都市では(そしておそらく日本全国の都市の中でも)ぶっちぎりの一位なのである。


そんな名古屋の喫茶店文化の中で、モーニングと並んで特筆すべきなのが「回数券(コーヒーチケット)」の存在である。コーヒーチケット…生まれ育った地域によってはありふれた日常的なものかもしれないし、見たこともないものかもしれない。「コーヒーチケット」そのものが商品としてAmazonで売られていたので、参考まで載せておこう。

ヒサゴ  コーヒーチケット(11連綴) 100枚 2090T

ヒサゴ コーヒーチケット(11連綴) 100枚 2090T

ようはコーヒー(お店によってはその他同額のドリンクも使用可)の回数券。だいたい10杯分の値段で11枚つづりとか、最近チェーン展開が著しいコメダ珈琲だと8杯分で9枚つづりとか、そういう感じである。チケットは購入したお客側が管理する場合もあれば、お店が壁などにずらっと架けて保管する場合もある。
重要なのが、チェーン店のチケットであっても大体の場合は購入した店舗でしか使用できないこと。これによる店舗側のメリットとして、(1)顧客の未来の消費を先取りして収入にできること、(2)顧客のリピート率上昇が見込めること、などが挙げられる。回数券は一度売り切ってしまえば本当に使用されようがされなかろうが店の収入になるし、買った客としてはどうせなら回数券がある店に足を運びたくなるというわけだ。もちろん、「ついで買い」への期待もあるだろう。


これと比較できるような工夫でより全国的に広まっているものに、ポイントプログラムがある。これは来店行動や消費行動に後付けで特典を与えるもので、顧客側にとっては実質的な値引きが見込める点は似ているし、リピート率が高まるところも似ているのだが、上記(1)顧客の未来の消費の先取りという視点では店舗側にとって回数券と正反対のサービスと言える。ポイントプログラムは、逆に店舗側が将来にわたってポイントという負債を抱え込むことになるのだから。


ということで、今後こういうサービスがあるといいな…と私が考えるのは、「電子的な回数券」だ。何かの商品をある店舗グループだけで買うことを前提に、一定の値引きを受けて電子的に決済ができるサービス。たとえば「アマゾンでだけ使えるエビアンの購入券(10本分の料金で1ダース)」とか。
こうなるともはや「回数」券である必要性もなく、プリペイド商品券であってもよいと思うのだが、そこにはおそらく金融商品への法的ハードルが関わってくると思うので…。

送別会を振り返る

新潟から東京へ戻ってきて4年。オリンピック1回分の年月はそれなりに長かったけれど、子どもがどんどん成長していったのを見ていれば短くも感じたり。
そんなわけで、この1ヶ月はいろいろと送別会を開いてもらった。基本的には誘われた会は全部受けていたので、つれあいからの評価は随分と下がってしまったのだが、ここでそれらを振り返ってみよう。

  • 1月25日 京都

 
送別会というか、この辺からやんわりと転勤のイメージが漂っていた。以前から行きたかった京都の「蕎麦屋にこら」さんで、蕎麦寿司、牡蠣の味噌漬けしめさばのカルパッチョ聖護院大根のふろふき…から始まるコースを満喫。今出川から約20分歩いてまで行った甲斐がありました。口福。昨年末に10周年を迎えたとかで、帰り際に記念のオリジナルCDミニアルバムをいただいた。歌手の石川よしひろさんの曲が5曲入っていた。

  • 2月1日 都内某所

会社の同期入社の人が集まった。今度、ものすごく北の地方都市に転勤が決まった人のテンションが異常にハイだったのを覚えている。

  • 2月5日 渋谷

会社の部署をまたいで総勢30名超の宴会。それに合流する前に、せっかく場所が渋谷だったので、お馴染みの蕎麦屋「福田屋」さんへ。多分これから数年は来られないので。きのことじとうふをアテにしんみりと一杯。

年初に訪れた際、長年勤めていたバングラデシュ人の板前さんが「暮れに故郷に帰ってからこっちに戻ってこなくて音信普通なの」と蕎麦屋のおかあさんに聞いて心配していたのだが、その後の消息について確認したところ、「いつまでも帰ってこないので、あきらめて別の日本人を雇いました」とのこと。出稼ぎというか、お金を貯めて母国へ帰ってしまう外国人労働者の育成問題は難しいな。バングラデシュで美味しい小料理屋を開いてくれていればいいなと思う。

  • 2月6日 六本木

1日とは違う同期入社メンバーで、六本木のビストロ「LB6」で肉料理とワインを。普段はなかなかこういう場に出てこない同期がこの日は参加してくれて、2次会のカラオケで湘南乃風の「睡蓮花」を熱唱していたのが印象に残る。


これは友人の結婚披露宴だったのだが、会社の関係の人も多数さんかしており、流れとして送別会にカウントしておこう。二次会では今度一緒に働くことになる友人夫妻とも話ができた。

  • 2月13日 麻布十番

昨年秋に行った海外取材で知り合った方と、「日本に帰国してからまたゆっくり飲みに行きましょう」と言っていたのだが、お互い忙しくてこのタイミングになってしまった。先方も名古屋へは出張で来られることもあるとのこと。次は栄での再会を約した。

  • 2月18日 歌舞伎町

名古屋に赴く私と静岡へ行く同僚を送る壮行会を、すでにリタイアされている大先輩が開いてくれた。二次会のカラオケスナック、店内の平均年齢がオーバー60という超アウェイのなか、冬のリヴィエラ、3年目の浮気、北酒場で乗り切った。

  • 2月20日 六本木

所属している部署の送別会。あいにくの雨模様だったが、高いビルの上からの夜景もたっぷり堪能。東京タワーとスカイツリー、お台場のビル群を一望にするこの光景も、しばらくは見納めである(そこに未練はないけど)。二次会で「北酒場」を5回くらい歌った。

  • 2月21日 福岡

所用で福岡へ行く。前々から誘っていただいていたふぐ料理を堪能。同席した後輩が、3月一杯で会社を辞めて家業を継ぐ予定…という話をしていた。それぞれに旅立ちの季節である(てきとー)。

  • 2月25日 都内某所

かつて同じ仕事をしていたつながりの方々との集まり。今年の頭にそのつながりの大先輩が急逝されて、そのお通夜や告別式で集まったばかりだったので、どうしてもその話題が出る。

  • 2月28日 都内某所

この日は2本立て。
まずはランチで会社をすでにリタイアされた大先輩と。この方とは昨年の海外取材の前にもいろいろお話を伺って餞別までいただいていたので、帰国してすぐに御礼の手紙とお土産を送ったのだが、お返しのお返しに「一度昼めしでも」と誘っていただいたのが、このタイミングとなった。
さらに夜は直属の後輩らを連れて麻布十番の蕎麦屋「松玄」さんへ。結局説教くさい独演会になってしまった上に、帰り道、うちではよく話題に上る不出来な後輩とつれあいを電話で話させた。どちらにとってもさぞかしいい迷惑だったことだろう。

  • 3月1日 新宿

東京での最後の仕事を終え、馴染みのパン屋でお別れのパンを買い込み、最後の送別会へ。東京に住む高校の同窓生が集まってくれた。
いろいろ勉強になった同窓会。20年前の自分は、将来みんなとこんなふうにお酒を飲みながら気軽に騒げるようになるとは想像できなかったな。年をとったから失ったものと得たものと。みなさん、ありがとうございました。

「DA.GA.NE.」

突然だが、この春名古屋に引っ越すことになった。これまでの人生において、名古屋こそ何度か訪れてはいるものの、それ以外の東海地方はあまりご縁が無かったので、知らない文化に触れるのが楽しみではある。
それで、事前にいろいろとリサーチをしようと思って、真面目な本、統計、プレスリリースの類から適当なサブカルチャーに至るまでいろいろ渉猟しているのだが、これも外せないだろうということで発掘してきたのが、昔懐かしい「DA.YO.NE.」の名古屋弁バージョン、CHUBU END x SATOMI「DA.GA.NE.」である。
(ニコ動でしか見つからなかった)

私自身は「SPECIAL TRIBUTE TO DA.YO.NE」という、大阪弁北海道弁、宮城弁、名古屋弁広島弁、博多弁などの各バージョンが入ったアルバムを見つけて聴いたのだが、固有名詞の登場回数などから言って、最も地元色の濃いのが「DA.GA.NE.」かも。名古屋圏内でも尾張小牧ナンバーの車や三河弁をしゃべる人に対する差別意識が透けて見えたり、なかなか興味深い歌だった。

SPECIAL TRIBUTE TO DA.YO.NE

SPECIAL TRIBUTE TO DA.YO.NE

名古屋城とかナナちゃん人形とか東山動物園でボートとか、キーワードは揃っているのにイマイチ観光地として盛り上がらない、求心性に欠ける巨大な田舎…というのが、今のところの私の愛知に対する印象。

大雪の日

今日は未明から日本各地で大雪が降った。東京でも「20年ぶりの大雪」ということで、都内で26cmの積雪が観測された。
そんな日だから予約なしでもいけるだろうと、たかをくくって午前中に美容室へ行ってみたのだが、意外にも「キャンセルされた予約はほとんど無い」とのことだった。滑り込みでぽっかり空いていた1時間で髪を切ってもらった。だが雪はその間も降り続け、あとから振り返ると午前中はまだそれほどでもなかった…と思えるくらい、夕方はすっかり暴風雪となっていた。
うちは先日家族でスキー旅行へ行くために、たまたまスタッドレスタイヤに履き替えたところだったので、こんな日でも午後から精力的に動くことができたが、さすがに図書館もガソリンスタンドも人影はまばらだった。

スノースーツに着替え、雪の中歓喜の表情の次男。


ベランダの衛星アンテナに雪が付着して往生したのだが、しまいにはそれをかいても衛星が映らなくなってしまった。ぶ厚い雪雲のせいだろう。
思い出してみたら、新潟から東京に引っ越すことになった4年前の冬も、新潟市内で「30年ぶり」とも言われる大雪が降ったのだった*1。別に我が家が引っ越すから天気が悪くなるということもないのだが、なんとなく人生の節目と大雪がセットで記憶されるのである。

*1:当時の豪雪については2010年2月4日の日記同年2月5日の日記を参照のこと。

『熔ける 大王製紙前会長井川意高の懺悔録』

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録
2011年に会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕された、元王子製紙会長の井川意高氏。子会社から実に106億円ともいわれる無担保の借り入れを行っていたとされ、そのほとんどをマカオのカジノで「溶かして」いたと報道されたのも記憶に新しい。
普通の暮らしをしている人たちにとっては「どうやったら100億円も?」と衝撃を受けただろうが、一時ギャンブル依存症について調べていた*1私に言わせれば、ギャンブルの泥沼にはまれば資金はあればあるだけ溶けてしまうものだと理解できるし、井川氏の場合は自由になる金の桁が常人とは違っていただけのこと。それと、この場合の「106億円」というのも、事が発覚した時点での借入金額であって、ギャンブルというのは凹凸(勝ち負け)があるものだから、おそらくカジノでの賭金総額は1,000億円を軽く超えていると想像する。
2013年6月に最高裁で有罪判決が下され、懲役4年の実刑が確定となった井川氏(だから現在はどこかの刑務所で服役中だと思う)が、反省を交えながら「どうしてマカオのカジノにはまってしまったのか」を本書で述懐している…と聞いて、ギャンブル依存症のサンプルとして興味を覚えて読んでみた。


生い立ちから家族のこと、会社のこと、経営者時代のエピソードなど、自己分析を交えていろいろと書き連ねてあるのだが、まず思ったことは、大人になり切れていない甘い性格が端々ににじみ出ているなあ…ということと、負けず嫌いで真面目な性格が、依存症に陥り入りやすい典型的なパターンだな、ということだった。